------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ 例 黒須《くろす》 太一《たいち》 【読み進めるにあたって】 ストーリーは 1,「CROSS†CHANNEL」からはじまります。 順番はこの下にある【File】を参照のこと。 このファイルは たった一つのもの  7,「たった一つのもの(謝りに)」 です。 ------------------------------------------------------- FlyingShine CROSS†CHANNEL 【Story】 夏。 学院の長い夏休み。 崩壊しかかった放送部の面々は、 個々のレベルにおいても崩れかかっていた。 初夏の合宿から戻ってきて以来、 部員たちの結束はバラバラで。 今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。 主人公は、放送部の一員。 夏休みで閑散とした学校、 ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。 屋上に行けば、部長の宮澄見里が、 大きな放送アンテナを組み立てている。 一人で。 それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、 完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。 以前は皆で携わっていた。一同が結束していた去年の夏。 今や、参加しているのは一名。 そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。 ともなって巻き起こる様々な対立。 そして和解。 バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。 そして夏休み最後の日、送信装置は完成する——— 装置はメッセージを乗せて、世界へと——— 【Character】 黒須《くろす》 太一《たいち》 主人公。放送部部員。 言葉遊び大好きなお調子者。のんき。意外とナイーブ。人並みにエロ大王でセクハラ大王。もの凄い美形だが、自分では不細工の極地だと思いこんでいる。容姿についてコンプレックスを持っていて、本気で落ち込んだりする。 支倉《はせくら》 曜子《ようこ》 太一の姉的存在(自称)で婚約者(自称)で一心同体(自称)。 超人的な万能人間。成績・運動能力・その他各種技能に精通している。性格は冷たく苛烈でわりとお茶目。ただしそれは行動のみで、言動や態度は気弱な少女そのもの。 滅多に人前に姿を見せない。太一のピンチになるとどこからともなく姿を見せる。 宮澄《みやすみ》 見里《みさと》 放送部部長。みみみ先輩と呼ばれると嫌がる人。けどみみ先輩はOK(意味不明)。 穏和。年下でも、のんびりとした敬語で話す。 しっかりしているようで、抜けている。柔和で、柔弱。 佐倉《さくら》 霧《きり》 放送部部員。 中性的な少女。 大人しく無口。引っ込み思案で、人見知りをする。 でも口を開けばはきはき喋るし、敵には苛烈な言葉を吐く。 凛々しく見えるが、じつは相方の山辺美希より傷つきやすい。 イノセンス万歳。 桐原《きりはら》 冬子《とうこ》 太一のクラスメイト。放送部幽霊部員。 甘やかされて育ったお嬢様。 自覚的に高飛車。品格重視で冷笑的。それを実戦する程度には、頭はまわる。 ただ太一と出会ってからは、ペースを乱されまくり。 山辺《やまのべ》 美希《みき》 放送部部員。 佐倉霧の相方。二人あわせてFLOWERS(お花ちゃんたち)と呼ばれる。 無邪気で明るい。笑顔。優等生。何にもまさってのーてんき。 太一とは良い友人同士という感じ。 堂島《どうじま》 遊紗《ゆさ》 太一の近所に住んでいた少女。 群青学院に通う。 太一に仄かな恋心を抱くが内気なので告白は諦めていたところに、先方から熱っぽいアプローチが続いてもしかしたらいけるかもという期待に浮かれて心穏やかでない日々を過ごす少女。 利発で成績は良いが、運動が苦手。 母親が、群青学院の学食に勤務している。肝っ玉母さん(100キログラム)。 桜庭《さくらば》 浩《ひろし》 太一のクラスメイト。放送部部員。 金髪の跳ね髪で、いかにも遊び人風。だが性格は温厚。 金持ちのお坊ちゃんで、甘やかされて育った。そのため常識に欠けていて破天荒な行動を取ることが多い。が、悪意はない。 闘争心と協調性が著しく欠如しており、散逸的な行動……特に突発的な放浪癖などが見られる。 島《しま》 友貴《ともき》 太一の同学年。 元バスケ部。放送部部員。 実直な少年で、性格も穏やか。 激可愛い彼女がいる。太一たち三人で、卒業風俗に行く約束をしているので、まだ童貞。友情大切。 無自覚に辛辣。 【File】 CROSS†CHANNEL  1,「CROSS†CHANNEL」  2,「崩壊」 CROSS POINT  1,「CROSS POINT(1周目)」  2,「CROSS POINT(2周目)」  3,「CROSS POINT(3周目)」 たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」  2,「たった一つのもの(2週目)」  3,「たった一つのもの(大切な人)」  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」  5,「たった一つのもの(親友)」  6,「たった一つのもの(謝りに)」  7,「たった一つのもの(Disintegration)」  8,「たった一つのもの(弱虫)」 黒須ちゃん†寝る  1,「黒須ちゃん†寝る」 ------------------------------------------------------- たった一つのもの  7,「たった一つのもの(謝りに)」 そして、俺は目覚めた。 念のため、茂みの奥を確認する。 よし。 位相のずれ。とでも言うのか。 俺の目だけが観測できるそれは、向こう側への帰還の道のり。 観測する者だけに、真実となる。 そこをくぐれば、帰れる。 人の満ちた世界に。 けれど。そう。 俺は——— 曜子ちゃんの姿はない。 ただ弁当だけが机に置いてあった。 学校に向かう。 無人の世界を歩く。 人だけでなく、生物そのものの気配がない。 満ちている感じがしない。 蝉も鳴かない。 不自然な、空間。 交差した世界の中核で、渦巻く矛盾。 わずか八人の小世界。 太一「……」 七香も、出てこない。 七香「……………………」 さて。 扉を押し開ける。 抵抗があった。 向こう側から押さえられている? 強く押す。 扉の向こうで、小さな乱気流が霧散した。 風だったのだ。 アンテナ。 それなりに形になっている。 指向性や波長など、いろいろな調整が必要だ。 が、そういう知識は俺にはない。 先輩も詳しくはなかったが、勉強したらしい。 その先輩だが……いない。 工具。 脚立。 書物。 風で飛び散った、菓子パンの空袋。 作業をしていた痕跡だけが残されている。 24時間作業しているわけでもないのか。 アンテナを見あげた。 周囲が開けていて、背の高い建物。 電波を飛ばすには、うってつけの環境らしい。 コミュニティFMという、地域密着型のラジオ放送がある。 本来、学校の部活でやるほど敷居の低いものでもない。 が。 立地と、群青学院のなりたちと、地元有志の善意溢れる意向。 そういったものが、今回の話に結びついた。 準備が進められていたが、とあるやむを得ない事件によって、うやむやになっていた。 搬入されたアンテナは、一年、そのまま放置されることになった。 そんな事情があるのだった。 おそらくFM群青に求められていたものは、健気に生きる少年少女たちの希望に満ちた愛コンテンツ、だったのだろうけど。 ごめん、そんなものは群青にはありません。 結果オーライだと言える。 見里先輩は、SOS計画を立てた。 日曜の夜に彼女はそう言った。 人類が消失してしまったことを、手分けして確認してからだ。 高所にアンテナがあるのだから、完成させて発信してみようという試みは……いかにも現実味に乏しい。 正直、先輩はほつれてしまった、と思った。 逃避は次第に人を弱くする。 そして先輩はもともと十分に弱かった。 見里「ぺけくん?」 背後。向き直る。 太一「はろーです。先輩」 見里「はろーです……えーと、どうしました?」 太一「様子を見に来ました」 先輩はふんにゃりと微笑む。 見里「そうでしたか」 太一「しばらく来てなかったんですけど、だいぶできてますね」 見里「けっこう前からコツコツとやってますから」 そう。 放送部が自然崩壊してからこっち。先輩は一人ですべてをこなしていた。昼休みのDJ。各種放送。すべて。 誰も手伝わなくなった。 霧は俺を敵視するようになり、 友貴は姉を避けるようになり、 美希はおろおろと苦笑い、 冬子も俺を無視しはじめ、 見事、瓦解。 桜庭だけがいつもと変わりなかった。変わりなく、放浪していた。俺はそれでも先輩の周囲をうろちょろしていたけど。彼女の方が、手伝いを拒んだ。 太一「……そうでしたね」 見里「びっくりしましたねぇ、それにしても」 太一「ですなー」 見里「人が一斉にいなくなるなんて」 太一「静かですよね」 見里「すごくすごく静かです」 太一「どこ行ってたんです?」 見里「ちょっと……おなかがすいたので」 太一「昼ですしね。うまく食料見つけられました?」 見里「ああ、家に戻ってました。食べ物は特に不自由してないですし」 太一「あー、さぼりだ。部長がさぼりー」 見里「ち、違いますよっ、これはさぼりではありませんっ」 焦る。規則重視の人なのだ。 太一「停学、停学です」 見里「停学はいやー、履歴に傷がー」 太一「停学! 停学!」 見里「停学はだめですー」 二人ではしゃいでいた。これが今の俺たちの、最短距離だった。先輩と触れることで、どういう展開になるのか。俺は熟知している。 自身の経験、そして記録。慎重に進める必要がある。先輩に近づいて。先輩に少し触れて。そして——— 先輩は寝ている。わかっていたことだ。 見里「……」 規則的な軽い寝息。しばらく見つめていた。やがて瞳が薄く開く。 見里「あ……あれぁ……?」 太一「おはようございます」 見里「……黒須……君?」 太一「ぺけです」 見里「ぺけくん……」 先輩専用のニックネームを、彼女が復唱する。 見里「いつからいたんですかぁ……恥ずかしい」 顔を覆う。 太一「今来たばかりです。それより、こんなところで寝たら危ないですよ」 見里「ああ、はい、平気です、ぐう」 引き起こす。 太一「寝たらだめです」 ずれたメガネも直す。 見里「はふ」 太一「これで、いつもの先輩」 外見だけは。 太一「おきましたか?」 見里「うぅん……眠いぃ……」 太一「いいですけど、パンツ見えてますよ?」 見里「……っ……っ!!」 目覚めた。さすが淑女。 太一「おはようございます」 見里「お、はようございます……あー、頭いたーい……」 太一「陽に当たって寝たりするからです。死にますよ」 見里「いいえ、私は生きます」 太一「決意は立派です。ただ危ないので監視させてもらいます、今後は」 見里「……へー?」 太一「つまりこの黒須太一があなたの逃避じゃなくて部活に参加するということです」 見里「部活しゅーりょーっ!」 太一「部活開始ーっ!」 見里「終わったばかりなのに……」 太一「なんて、たまに遊びに来るだけですけど」 見里「なぁんだ」 太一「ではまた明日」 見里「はい、また明日」 校舎を出て、屋上を見上げた。アンテナが立っていた。その隣。先輩はまだ、そこにいる。作業していた。 もうじき夜になるのに。 一人で。 人と触れあわないことが、唯一の道と信じていたあの頃——— 先輩と出会った。 見里「こんにちは!」 太一「……?」 見里「いつもお一人なんですね。わたし、宮澄見里っていいます。一緒に、部活しませんか?」 この言葉が、忘れられない。 最初の他人。 最初の誰か。 CROSS†CHANNEL 目を覚ます。陽光が窓を貫いていた。熟睡していたらしい。夢一つ見なかった。 時間は……7時。 学校に行かねば。以前、ここをあの子と歩いた。 遊紗「はれ? 太一さん?」 太一「おはよう」 遊紗「あ、おはようですっ」 遊紗ちゃん——— この頃は、友達だった。 寝ていた。目覚ましを取り上げる。12時にセットされてる。夜中までやってたのかな。眠くなるまで、動いていたのかな。そんなに、つらいのかな。目覚ましの時間設定を変える。 見里「んあんあっ」 飛び起きた。 太一「朝から寝てるったぁどういう了見っすか」 見里「寝てませんよ?」 太一「寝てます」 見里「ぐう」 太一「だから寝てますって」 見里「あぁぁ……うぅぅ」 よたよたと身をもたげた。 見里「とりあえず、おはようございます」 太一「おはようございます、先輩。日中にここで寝こけると陽光で死にますよ?」 見里「あ、はい、そうですね、気をつけました」 スカートの裾を持ち上げて眼鏡をふく先輩。目を反らす。紳士、紳士。 見里「にゃむっ……」 眼鏡を拭きながらあくびを噛み殺す。 見里「ふー、からだがだるいです」 太一「でしょうな」 見里「何時なんですか?」 太一「八時くらいです」 無言で横たわった。手を合わせて枕にする。 太一「死ぬというのに」 転がっている荷物の中には酒瓶もある。飲んで逃げて飲んで逃げて。先輩も大変。 太一「ま、勝手にやらしてもらいますか」 見里「ZZZ……」 先輩を背負う。まったく起きる気配はない。無人の保健室。あいているベッドに先輩を寝かせる。 太一「おやすみ先輩、良い夢を」 作業を進める。長い固有の人生を経て、技術と知識は備わっている。先輩よりも、ずっと効率的にシステムを構成していく。汗水垂らして働くのは嫌いじゃない。心地よい。肉体が自動化し、記憶の一つが浮上した。屋上を舞台に、心が過去をなぞらえて、再び衝動を再現しようとする。警備の目を逃れるのは、俺の日課だった。その日も、昼休みの屋上に身を置いていた。すぐに見つかるかと割り切っていたのに、存外、死角だった。昼休みの終了まで一人、ぼうと空を眺めている。誰も傷つける可能性のない安息。ひるがえって、誰とも接続できないことを意味した。構わない、と思っていた。 第一目標はヒトの中で生きることで、楽しむことは考慮になかったから。爆弾を抱えていることは自覚していた。人付き合いは、俺にとって高い買い物だ。支払うべきは持続的なストレス環境。得るものは過程のみの結束。ハッピーエンド抜き。億劫になって当然だった。今度やったら、あとがないのは間違いない。 孤独を日常化。自らの心を鈍感にする以外、どんな手段があったろう? 見里「また会いましたねー、黒須君」 話しかけてきたのは、向こうだった。 太一「……」 戸惑い、だったと思う。そんな風に接されたこと、ついぞない。胸のでかい女だった。微量の劣情を、抱かぬでもない。俺は基本的に現実女は苦手であったわけだが、嫌悪していたわけではない。女はニコニコと、反応を待っている。立ち去るつもりはないらしい。 俺は『ほっといてくれ』オーラを放った。 見里「?」 女は気づかなかった。 太一「……どうして俺の名前を?」 仕方なく、応じた。敗北。 見里「ああ、そんな声をなさってたんですね」 手を叩いて、もっとニコニコした。 太一「どうして、俺の、名前を?」 区切って問う。 見里「はい。名簿で」 名簿とか言う。そんな簡単に見られるものなのかよ。というか見せていいのかよ、学校。俺は皮肉を繰りだした。 太一「……探偵みたいな真似事をするんですね。犯罪者かな? 高等部では、そんなことも教えるんですか」 皮肉として、かなりの自信作だった。 見里「あう、手厳しいです。でも確かに、ごめんなさいです」 受け流される俺のアイロニー。 太一「……」 見里「事情を説明するとですね、青田刈りです。わたし、放送部の者なんですけど……」 太一「知ってます。昼の放送で、よく聞きますから」 イヤでも。 見里「ああ、それなら話がはやいですね。ええ、あれわたしです。お昼のDJ」 太一「お世辞にもうまいとは思いませんけど」 見里「……苦手なんですよ……ああいうの……」 しおれる。 太一「苦手ってわかってるなら、おやめになればいい」 会話慣れしていないため、変な敬語になる。 見里「万年人手不足なんです」 さっと、てのひらを上に片手を差し出して。 見里「そこで黒須君を誘惑したいわけです」 太一「………………ふ」 ニヒルに笑おうとしたが失敗し、顔面筋肉が電気を通されたみたいに痙攣した。 ……最悪だった。無表情を装備し、告げる。 太一「ごめんなさい。他、あたってください」 立ち去る。 見里「あー、ちょっとちょっと!!」 ……………………。 彼女に誘われてはじめた部活。今は。拒絶されている。 CROSS†CHANNEL 水曜日。学校に。脱走させないための門。学生を守っているというより、外の世界を、俺たちから守っているような。そんな印象を抱かせた。 見里「ぺけくん」 疑惑の視線に出迎えられた。 太一「おや、部長。二日酔いになってませんか?」 見里「……なってます。あいたたた。じゃなくてですね、わたしが保健室で寝ていたりなんか作業が進められていたり……といった不思議現象が発生中です」 太一「それは俺です」 見里「あなたが?」 太一「先輩にそうしろって言われて」 見里「えっ? そんなこと言いましたっけ?」 太一「ええ、酔ってたせいですかね。記憶にないんですか?」 見里「あああ……」 悩みだす。ついでに恩も売っておく。 太一「あと先輩がいきなり裸踊りをはじめたときはどうしようかと思いました」 見里「っ!?」 先輩の目が横長の『×』マークになった。 見里「ああああっ! わたしがそんなことを……信じられません!」 太一「こんな具合に……」 見里「あつい、あついれすぅ……着てられないですぅ」 先輩は左手でネクタイをほどきつつ、その三秒後に右手を斜め下45度の角度から差し入れ、結び目に人差し指の第二関節までを0.62秒で埋没させた。相反する両手の力がネクタイの摩擦力を上回り、長さおよそ32センチほどの首回り部分を結び目から引き抜いた。次に右手で第一ボタンならびに第二ボタンをそれぞれ約二秒ではずし、胸元をはだけた。 見里「そーれ、ぱっぱっぱー」 肩ひもを両手で落とし、右手は再びブラウスのボタン、左手はスカートのサイドホックとファスナーを外しにかかる。四秒二八時点でブラウス、七秒三四時点でスカート。下着姿になった。 見里「ぱんつもぬいじゃえですー」 『も』のあたりで、足首まで落とした。 足を抜いて、恥毛を風にそよがせつつ、ブラのホックを外す。張った胸がカップを押し出し、布地はふわりと宙に躍りでた。滑空するほどの浮力を得ることもできず、もんどりうって地面にとぐろを巻いた。もはや先輩の着衣は、メガネとソックス&シューズだけ。 メガネは顔の一部なので、実質全裸靴下だ。 見里「誰か見てください、わたしの一糸まとわぬ姿、誰かー」 両腕を水平に伸ばし、左方向に秒速一回転でターンしながら六メートル五十三センチほど移動した。 見里「モザイクのないわたしの真実のすがたをー」 残念ながらモザイクはあった。 見里「らーーらららららーーらーららー♪」 そんな美しい先輩の姿を、俺はなすすべなく見つめていた。 〜END〜 見里「……しくしくしく……見てはいけないと言ったのに、見てしまったのですね」 ぺたりと斜めに座って、大和撫子泣き。 太一「それは鶴の恩返し」 見里「そんな的確に描写されているということは、事実なんですねっ!」 太一「YES」 泣き伏す。 太一「でもご安心を。僕がうまく処理して、人目につかないよう片づけておきました」 見里「……ああ、そうだったの……どうも、ありがとう」 太一「いいえー。あと原稿書いてきました」 見里「え? そんなことまでお願いしてたんですか?」 太一「はい、見て下さい」 文面は過去のものを転用した。 見里「ううん……これはいいですねぇ」 顔をあげて、笑みを見せて。 見里「わたしたちらしいです」 太一「じゃ没はなしですね」 二人で笑いさざめく。わずか。先輩の顔が、曇る。 見里「……結局、一人じゃ何もならないんですね」 太一「無理があったんでしょう。徹夜したり、日中無茶したら駄目です。禁止です」 見里「うう……後輩にお説教される部長って……」 先輩が立ち上がるのと、立てかけてあった様々な資材が動き出すのが、同時だった。引き寄せる。 太一「危ない」 見里「え?」 脚立や鉄針、工具……そんなものが。不協和音を奏でながら、床に散らばった。 見里「あ……」 太一「危ない危ない」 見里「あ……ど、どうも……」 太一「もうちょっと」 見里「あ、で、でも……」 太一「もうちょっとこうしてないと、危険ですので」 見里「……そうでしょうか……」 先輩のにおい。湧きだした記憶が、リアルな初夏の空気を携えて、鼻先にけぶる。 見里「こんばんわぁ」 うとうとしていると、首筋に冷たい感触。 太一「……うわ、なにを?」 見里「冷たいジュースの時間です」 先輩が、二本の缶をぶらさげていた。 太一「……」 見里「おごりですよ」 太一「…………」 受け取らされた。 太一「……先輩も、しつこい人ですよね。あまり俺に関わらない方がいいと思いますよ」 見里「どうしてです?」 隣に座る。 太一「ろくでもないヤツですから。気を抜くと、人を傷つけたくなる……危険人物なんですよ」 見里「あー……重そうです……」 名簿を見たなら、察しているはずだ。 赤枠で記された、俺の名を。 太一「部活だって? 俺の参加は許可されないと思いますよ。あなただってここの人間なら……わかるはずだ」 見里「はい。だからこうしてお話してみたんですよ」 太一「……話だけじゃわからないことも多い」 見里「一つわかったことが」 指を立てる。真面目な顔。 太一「……というと?」 見里「あなたは……普通コンプレックスです」 太一「……っ」 当てた。なんて人間洞察力だ。年の功か? どうやって思考を重ねたら、そんな的確な物言いができる。俺は戦慄した。 見里「そんな顔してます」 顔でかよ。俺は弛緩した。 見里「つまり、健全さを求めているということです。……わたしと一緒」 彼女は手首の傷跡を見せた。うっすらと消えかけているそれは、だいぶ古い。 太一「……これって?」 見里「自傷症状です。手首なんて切っても、よほど準備しない限り人は死にません。けどストレスがたまると、わたしは自分を傷つけるんですよ。わたしにとって、ストレスっていうのは……うまく説明できないですけど、きっちりしてないことなんですよ。荒れてる部屋とか、守られてないルールとか」 太一「大変だ。世の中、ほとんどその口じゃないですか」 見里「そーなんですよね……ストレスの元だらけです。ニッチもサッチも行かなくなって、自分を傷つけて……時には、他人も傷つけて。そういうジレンマがあります」 太一「俺のは違います。俺のは……」 ふわりと抱きしめられた。 太一「ちょ」 見里「いいですよ、つらかったら話さなくても……とにかく、駄目なわたしなのです。しかしながら、普通を目指して奮闘中です」 太一「先輩……は……」 見里「飛び交う電波、燃え上がる友情、様々な事件、そして和解……あなたも凡人目指して、我々とともに頑張ってみませんか?」 太一「…………」 見里「群青学院放送部は、自信のない多感な少年を募集中です」 太一「……まるで宗教の勧誘だ」 見里「いいじゃないですか、宗教」 太一「変な女」 見里「こら!」 太一「……いて」 コツン頭突き。 見里「目上の人は、先輩です。そしてあなたの飲んだジュース代は、部費から出ています」 太一「……きったな」 見里「見学する義務がありますよ、君。うん、あります」 太一「……大人の手段だ」 見里「部員が少なくて、一年生なのにアクセクしないといけない下っ端のお嬢ちゃんです」 太一「でかい胸、あたるんですけど。いいんですかこの体勢」 見里「あ、君はもうそんなことに興味があるんですか?」 太一「俺、男なんですけど」 見里「うちの弟は、まだ全然子供ですよ」 無防備すぎる。 無防備すぎて。 太一「……はは」 笑ってしまった。 太一「入部」 見里「はい?」 太一「……入部します」 見里「え、本当の本当に?」 太一「ずっとおっぱい押しつけられて勧誘されるより、マシですから」 見里「わあ! やったあ! わたし、すごい!」 あんたかよ……。 太一「逆だ。あの時と逆」 見里「……あの時……?」 太一「もう忘れましたか?」 見里「ああ……あの時のことでしたか」 平気で俺を胸に押し当てた先輩。当時の無邪気さは、もうない。抱きしめれば、身じろいで狼狽える。それは先輩が、俺を異性として意識してくれているということで。少し胸が弾む。 見里「……そんなことが、あったような気がします」 太一「いきなり抱きつかれて驚いたから、仕返し」 見里「あれは……だって、子供だと思っていたから」 太一「もっと警戒しないと、傷つきますよ」 見里「……自分が傷つくのは、いいのです。人を傷つけるよりは」 太一「先輩みたいな人が、どうやって人を傷つけるんだか」 見里「…………傷つけますよ……」 掠れる声、額をなすりつけてきた。年上のお姉さん。今は。無垢な少女のよう。 見里「あの……」 太一「ホワイ?」 見里「どうして、怪我してないのに看護されてます?」 太一「もしかして擦り傷ができてるかもしれないじゃないですか」 見里「できてましたっけ……?」 太一「まあいいんです。お疲れのようですし、少し休んだ方が」 見里「はあ……」 太一「はい、先輩の携帯」 見里「あ、どうもです」 太一「使えないのに持ってるんですね」 見里「……不安なんです。持ってないと」 見里「連絡が入ったとき、すぐに出られるように」 太一「……連絡?」 見里「家族から」 太一「先輩のご家族って……」 見里「刑務所……」 太一「え゛?」 見里「……犯罪者をなりわいとしております」 太一「は、初耳なんですけど」 見里「お金の横領が脱税でドボンなのですよ」 いろいろあったらしい。 太一「俺も性犯罪者にならないよう、注意しないと」 見里「……笑えない」 太一「さて」 見里「?」 太一「そろそろ眠って下さい」 見里「えええええええっちなことされそうです〜」 太一「失敬な。そんなことしやしません」 今は。 太一「先輩は、安らかに生きていいんですよ」 てのひらで、目を閉じさせる。 廊下を出る。友貴を捜す。すぐに見つけることができた。呼びかける。 友貴「太一か……」 太一「姉さん心配か?」 友貴「……え、いやそんなんじゃないけど……事件かなって」 友貴「それに、関係ないよ。親離婚してるし。僕らだって、別個の親と暮らしてるし」 別個の親? 四人家族が半々になったってことか? 太一「そうだったのか。友貴はどっちの親と?」 友貴「……母親」 太一「じゃ先輩は父親か」 友貴「まあね……けど、なんかやってるの? 二人で?」 太一「ああ、部活につきあってる。先輩の」 友貴「……どうしてまた?」 太一「いや、目的があっていいじゃないか」 友貴「部活って、例の与太話?」 太一「与太じゃないよ」 友貴「太一がそういうことするのは……なんか、まあ、理由あってのことだろうけど。他に誰が参加してんの?」 太一「部長」 友貴「……だけ?」 太一「そう」 友貴「それ部活じゃない……」 太一「部活と思えば自慰だって部活だ」 友貴「……最近、いろいろと動いてるのは知ってたけど、部活とはね」 肩をすくめた。 太一「友貴もどうだ、姉弟ネコイラズで」 友貴「水入らず……ごめんだね」 太一「そうか」 友貴「……裏切られるぞ」 ぽつ、と言う。 太一「いいよ、別に」 友貴「ん……」 太一「裏切らないことが、信頼の条件か?」 友貴「そりゃ……」 太一「だったら俺も駄目じゃん」 友貴「太一は裏切ってないだろ?」 太一「いやいや、いろんなものを裏切ったしこれからも裏切るしあまつさえ横切るよ」 友貴「……それがおまえの普段言うハイレベルなギャグとはどうしても思えない」 そんなこと言ってない。 太一「そんな宝物のようなギャグがそうそう出てたまるか」 数撃つ派だっつうの。 友貴「とにかく、あまり親しくしない方がいいよ。太一のためだ」 太一「いーや、親しくしちゃう。もう行くとこまで行っちゃう」 色を失う友貴。 友貴「な、なに……いくとこって……」 太一「ゴールさ」 友貴「ゴールって……」 太一「挿入だ」 友貴「ぐ……」 ショックを受ける。 友貴「それは……けど……」 太一「インモラルは考えすぎなんだよ」 肩を叩く。 友貴「友貴です!」 太一「もっとピュアにインモラっていけ。おまえのためだ」 友貴「わからない度95%」 太一「飛び交う電波、燃え上がる友情、様々な事件、そして和解……あなたも凡人目指して、我々とともに頑張ってみませんか?」 友貴「…………」 太一「群青学院放送部は、姉に性欲をもてあます少年を募集中です」 先輩から借りた言葉。友貴にも、教えてやろうと思ったんだ。 友貴「……あのなぁ」 そろそろ友貴が来る。玄関で待機。 友貴「たい———」 太一「よく来たな。食料サンキュー」 友貴「うわっ、びっくりしたぁ……着物着てるし」 太一「文豪っぽかろ」 友貴「いつもそんな格好なの?」 太一「無論だ」 友貴「すごいね」 友貴はよりいっそう俺を尊敬したようだった。 太一「飛び交う電波、燃え上がる友情、様々な事件、そして和解……あなたも凡人目指して、我々とともに頑張ってみませんか?」 友貴「…………」 太一「群青学院放送部は、素直になれないシスコン症候群の少年を募集中です」 友貴「……その文句さあ……飛び交う電波って部分、なんかヤバそうなんですけど」 太一「そか?」 友貴「群青でそれは……」 太一「1クラス平均10人くらいは電波ゆんゆんだもんな……」 友貴「ああ……」 太一「それももういないけどな……」 友貴「ああ……」 太一「ま、とにかく食い物はありがたい」 友貴「友情は見返りを———」 太一「求めない」 ぐっ 不敵に笑いつつ、親指を立てあった。もはやノルマだ。 友貴「じゃあな」 太一「そっちのが一段落ついたら、部活来ないか?」 とたん、表情は硬くなった。 友貴「……裏切り者と、部活なんてしたくない」 太一「はいはーい。どちら様で?」 遊紗「あ、あの、堂島です」 太一「その極道みたいな苗字とは裏腹にキュートな声は……遊紗ちゃん? あいてるからどーぞ」 ドアがおそるおそる開き、美少女が立っていた。 遊紗「どうも、こんばん……は」 座らせて、麦茶を出す。いろいろ会話をして。 遊紗「あの、わたし今日が誕生日なんです」 太一「へえ、そうだったのか」 遊紗「それでですね、これ……お誕生日プレゼントです」 太一「ええと……とりあえず、ありがとう。でも、あれ?」 遊紗「それと、交換日記を明日提出できたらなと思ったので……」 太一「じゃあとりあえず交換日記と、それとこれは俺からの誕生日プレゼント」 遊紗「…………」 この娘は驚くと絶句する癖があった。 太一「さてと、じゃ家まで送ろうか」 遊紗「……………………っっ!?」 さっきの倍くらいに絶句した。 太一「もう夜だし、ちょっと危ない人もいるからね」 特にこの街には。 太一「行こうか?」 遊紗「は、はいっ」 そして、送った。 遊紗「その質問、毎回しますよね、太一さん? 難しくてよくわかりませんですけど……はい。きょーしゅーです」 きょーしゅーです。 きょーしゅー。 郷愁? 違う。 強襲。 強襲。 そう、強襲。 激しく、攻めること。 ああ。 俺はこの言葉が、好きだな。 夢の中で笑う。 とめどなく。 嘲弄。 沈んだ感情はすぐに深淵に呑まれる。 シニシズムの虚無を思わせるメッキは溶解し、むきだしになっ たカケラが……巨大な母体にまざって、戯〈ざ〉れる。 思考は一つ。 敵は敵。 殺さば殺す。 だけどそんな思考さえも、俺は、殺してしまいたい——— CROSS†CHANNEL トンテンカンテントンテンカンテン 今朝も屋上では、精力的な部活動が行われている。 入部を決意した俺だが、なかなか許可はおりなかった。先輩はいろいろと動いてくれていた。俺に気づかれないように。 ……速攻で気づいていたけれど、ね。部員でなくとも、部活に参加するのは平気だった。一時の気分に流されて、口走った入部宣言。 すぐに後悔して、撤回しようとした。 けど……甘かった。俺はずるずると、 見里「黒須くーん!」 ずるずると、 見里「こんにちはー!」 引っ張られ続けた。やがて、部室にいることの方が多くなった。 見里「えーと。まざーぼーどの……すろっとに……けーぶるを……んしょ、と!」 実質、先輩は部活動の中心だった。ちゃんと活動できる人間だったからだ。二人きり。 見里「べいが……べいで……はーどでぃすく……うっ、またけーぶるがささらない……」 太一「……はぁ」 見ていられなかった。 太一「違う。こっち」 見里「あ、わかりますか?」 太一「……このくらいは」 見里「じゃ、あの、こっちは?」 太一「あのですね……どうして既製品買わないんですか?」 太一「全然知識ないんだから、できあいの買いましょうよ」 見里「これも部活の一部になるかなって」 太一「……んー」 見里「あ、ミシッて音が……」 太一「ちょっとちょっと! どいてください」 見里「え?」 太一「そんなんじゃ、せっかくの高いパーツが壊れます」 見里「あー、助かりますー」 学校も金持ちなのか、部費で購入したと思われるパーツは、高級品ばかりだった。 見里「へー。手際いいですねー」 太一「まあ、人並みには」 皮肉。 見里「えへへー、うちの弟もパソコン得意でしたよ」 通じなかった。 太一「……そーですか」 見里「男の子ですねぇ」 太一「年下好きなんですか、あなた」 見里「はい、年下の男の子って可愛いです」 太一「……」 太一「俺もおばさんは好きですよ」 皮肉㈪。 見里「わたしも嫌いではないですけど、おばさんは恋愛対象にはならないですねぇ」 太一「当たり前です!」 つい、興奮してしまった。 CROSS†CHANNEL 太一「おはようございます」 見里「ああ……ぺけくん……きゃあ」 脚立の上から先輩が、 ぼてりと落ちた。 お姫様だっこで受け止めた。 見里「うわ……わわわっ!?」 太一「人助けの役得です」 すぐおろす。 見里「……ど、どぉもっ」 太一「先輩、今丸々と太った芋虫みたいな落ち方でしたよ」 見里「……想像させないでくださいな、そんなもの」 渋面+赤面。 太一「そういや、虫いないんですよね」 見里「ええ、それだけがせめてもの救い……」 太一「静かなのはいいですけどね、蝉」 見里「ええ……」 太一「そういえば———」 自然に囲まれたこの街には、毎年多くの蝉がおとなう。他にもたくさんの虫がいる。丸々と太ったカブトムシとか、たまに家の壁にへばりついて切なそうにしていたりする。市街でそんなものを見るくらいで、当然あの白いエビチリにも似た幼虫はごろごろ山に埋まって解放の瞬間を夢見ている。 太一「そういう話を学食でエビチリを食いながらしたら、先割れスプーン装備の冬子と闘うことになりました」 見里「……ぷっ」 見里「あははははははっ」 たった二人でも、部活は楽しい。 太一「……ん?」 気配。 見里「どうしました?」 太一「いえ、ちょっとご不浄に」 見里「あら、古風」 校舎に続く扉。開くと、階下に向かってあわてふためく足音が。 太一「曜子ちゃんじゃなかったか……」 気配の消し方が稚拙だったしな。となると。 太一「友貴……か」 素直になれないシステムコンポーネント野郎め。 ま、とりあえずトイレには行っておこう。 みょー。(最中) 太一「ふう」 曜子「……見参」 太一「おわっ、出た!」 本物。 曜子「おんぶ」 太一「……え?」 曜子「胸だっこ。お姫様だっこ」 太一「……何よ」 曜子「太一があの眼鏡女を抱いた種類」 太一「眼鏡女って……」 曜子「多種多様なだっこがそこにあった」 太一「……ぜんぶ見てたの?」 曜子「お姫様抱っこ」 曜子「お姫様抱っこ」 曜子「お姫様抱っこ」 見ていたようだ。 太一「何を言いたいかはよくわかった……」 曜子「お姫様抱っこ」 太一「……してほしいのか……その年で」 曜子「年は関係ない」 太一「……あなたは誰かにお姫様だっこされなくても生きていけます」 曜子ちゃんは無表情に憮然とした。 太一「それより、ちょっと手伝って欲しいところがあるんだけど……曜子ちゃん詳しいでしょ、ああいうの?」 曜子「お姫様だっこ」 うーむ。 太一「……交渉ってワケ?」 頷く。 太一「わかったよ、します。すればいいんでしょ」 曜子「ブライダルお姫様だっこ」 太一「そんな意味のわからないアレンジはできない」 曜子「普通のでいい……」 太一「じゃ、おいで」 曜子「…………」 嬉しそうだな。 ……だまされるな。 ちんまり。 曜子「…………」 太一「……どう?」 曜子「……いい」 太一「じゃ、おろすね」 曜子「だめ、だめ……」 慌てた。 太一「もっと?」 曜子「もっと」 曜子「私はまだ満ち足りてないもの……」 太一「んー」 この人、結構ずっしりしてるからつらいんだけどな。筋肉は脂肪より重い。恐るべき次世代子供の標準仕様だ。 ……次世代って変な意味の言葉だよな。 曜子「散歩」 太一「散歩か……」 曜子「ん……」 満足げだ。元からこういう人だったなら、もうちょっと、素直に好きになれるのに。 曜子「……いい」 太一「あっそう」 どうしても彼女の戦略が見えてしまう。 曜子「すごく、いい」 太一「さいで」 移動する。重くなってきた。 太一「そろそろ……いいかな」 曜子「いや」 太一「……むー」 それから十分近く校内を歩かされた。 太一「ま、まだ?」 曜子「もうちょっと」 太一「う、ううっ」 腕が。さらに一巡。 太一「もうきつくなってきました」 曜子「あとちょっと……」 太一「時間にして、いつなったら満ち足りるんだろう?」 曜子「小一時間ばかり」 太一「俺の腕千切れる」 強制退位。 太一「おしまい」 曜子「……はぁ」 落胆している。 仕方ない。愛のセクハラをしてやるか。 太一「じゃかわりのことをしてあげよう」 曜子「なにを?」 太一「一度やってみたかったことがあるんだ」 曜子「それは?」 太一「逆肩車」 曜子「意味わからない」 太一「普通の肩車を連想してください」 曜子「ええ」 太一「通常、上側の人の膝は下の人の顔の向きと同様、前方を向くわけですが……」 太一「これをくるっと反転させて、背後を向きます。で、下の人はそのまま動かない。逆肩車」 曜子「…………………………太一のエロパワーには、計り知れないものが」 太一「ありがとう。さあ、やろう」 曜子「……それは……すごく……恥ずかしいこと、だと思う」 珍しくためらう。 太一「OK、じゃみみ先輩に頼むか」 曜子「しゃがんで……」 簡単。みみ先輩が了承するはずがないのに。 太一「わーい」 曜子ちゃんが目の前に立つ。 曜子「……じゃあ……」 太ももが、肩に乗った。片方ずつ。 そして逆肩車、完成——— 太一「おおおおお……おおおおおおおお……うおおおおおおおおおおおお……」 悔いなしッ!! 去年も確か、友貴はみみ先輩とケンカをしていた。 友貴「それはお姉ち……姉貴が裏切るから……放送部に入ったのだってさ、無理矢理なんだ。帰宅部しようと思ってたのに、あなたパソコン少年でしょだったら手伝ってとか言ってさ。なんでいまさら姉貴と仲良く部活動しなきゃなんないのよ」 去年と今。 二度の仲違い。 その質には、大きな差があった。 そして一年経った今日。 友貴は一人、パンを食べていた。 太一「……よ」 友貴「ああ……パンだったらそこに残ってるよ。傷んでるかも知れないけどな」 太一「ああ」 傷んではいないだろう。だがカレーパンばかりだ。確か、真ん中あたりに……。 あった、コロッケパン。 友貴「あれ、そんなのあったの?」 太一「調査が甘い」 友貴「……交換しない?」 太一「ほら」 友貴「サンキュ」 友貴はコロッケパンを食べた。 太一「……それ、放送部の予算から出てるパン」 友貴「ぶっ、嘘つくな! 学食のパンなんですけど」 太一「部活を手伝う義務ができたな」 先輩作戦だ。 友貴「ないって!」 太一「……強情なやつ」 友貴「手伝う理由なんてないじゃないか」 太一「家族だろ?」 友貴「……いや、だからさ……」 一気に疲労が浮かぶ。 俺も知ってて言ったんだけど。ありとあらやゆる人間関係において。軽度の攻撃は、快楽になる。 強すぎれば損傷するが。基本的に、人が人に触れる手段は攻撃しかない。交友とは、手加減の上手さでしかないように思う。 太一「たまにはいいだろ?」 友貴「……今日は、しつこいんだな。太一らしくもない」 そう、俺らしくもない。 友貴「ありのままを愛するのがおまえの身上じゃないのか?」 太一「ありのままを……お、おまえ……俺に愛されたいのか?」 友貴「それは言葉のあやだって!」 おどけるのも、自爆するのも、攻撃ではない。知っている。全て。 俺は玄関前で騒いでる、ちんどん屋みたいなもので。踏み込むことが下手な俺は、相手のすべてを肯定するしかないのだった。それしか手はない。普段なら。 太一「まあな、そこを突かれるとつらいのだが」 でも今は——— 友貴「……太一も気をつけた方がいいよ、本当に」 太一「どして」 友貴「裏切られるだけだ」 太一「実例を示してくれないとわかんないな」 友貴「……売られるだけだ」 太一「いくらで?」 友貴「真面目に聞く気はないのか……」 太一「……すまん……シリアルな空気がこそばゆくて……」 友貴「シリアス!」 机を叩く。 太一「そうカッカするな。生理っぽいぞ」 友貴「男だよ! 小豆馬鹿!」 太一「あ、小豆相場のことは言うなー!!」 永遠のトラウマ。 友貴「くのー!」 太一「むがー!」 友貴「いぇやー!」 太一「ちぇいさー!」 合意のもと互いにつける擦過傷は、心を豊かにする。だから満たされる。というわけで、部活中だったりする。 うーん。 ここか? それともここか? この穴はなんだ? ケーブルを通すのか? 太一「……」 ここにしておくか。それっぽい感じするし。 見里「わかりますかー?」 太一「まー、なんとか」 下では先輩が脚立を支えてくれている。 見里「男の子がいると頼もしいですねー」 太一「そうでしょうとも。ご用命の際はいつでもこの私メを……」 つうか。 この人、弟いるじゃないか。 太一「……あの、友貴と喧嘩してますよね?」 先輩の顔が、さっとかげる。 見里「あー、まあ……」 見里「ちょっと冷戦に」 太一「友貴もケンカなんてするんだなぁ」 見里「え?」 太一「あいつ、本気で怒ることなんて滅多にないから」 先輩はその言葉に、ショックを受けたようだった。 見里「……当然、なのかもしれないですね」 太一「はい?」 見里「人生は難しいですこんちくしょうという感じです」 わけがわからない。 友貴『……裏切られるぞ』 太一「あの、裏切りとか、なんです?」 見里「……」 眉根が寄った。 見里「友貴が、そう言ってたんですか?」 太一「はあ」 見里「……」 太一「先輩?」 見里「……うーんうーん」 先輩は泣きそうな顔で、うーんうーん唸りだした。 太一「アノウ?」 見里「なんといいますかーもー!」 がくがくと脚立を揺する。 太一「わわわっ!?」 見里「ままならねーですーっ!!」 太一「落ちそーですっ!!」 散々な部活だった。 夜の自室。 見里「……けーくーんー……」 先輩が来た。 誤差5分ってところか。 十分も遅れたら、様子を見に行こうと思っていた。 太一「はーい」 見里「こんばんはー」 窓の下、手提げをさげた彼女が立っていた。 そして予定通り、弁当を食べる。 太一「うまい。先輩は器用だなあ」 見里「そうですか? 料理は最近はじめたばかりなんですけど……* 他愛ない会話。 太一「明日、海にでも行きませんか?」 誘い。 見里「……そうですね」 はにかみ。 太一「金曜日、か」 世界が揺り戻されるまで、あと三日。今日もなすべきことをしよう。 太一「先輩、待ってました」 見里「……ぺけくん」 太一「海行く約束、忘れてないでしょ?」 見里「海……でも用意してないですよ」 太一「俺が用意してあるんで。ささ、参りましょう」 見里「でも……日曜日までに放送局を……」 太一「助っ人を呼んでありますので」 太一「というわけで、海に行ってくるんでしっかりよろしく」 曜子「……私、太一と海に行ったことない」 太一「また今度ね」 太一「とりあえずこの暑い中、曜子ちゃんはたった一人で放送準備進めておいて。あ、こっち監視に来るのも禁止ね」 曜子「……便利に使われる……」 太一「似合ってますよ」 力無く先輩は首を振る。 見里「……わたしにはそうは思えません……」 太一「タオルで隠したらせっかくの魅力がダイナシです」 見里「痴女みたいなんですけど……」 太一「そんなことありません。先輩の貞淑な姿に、俺、すごく興奮してます」 見里「興奮してるんじゃないですかっ」 太一「でも、似合う似合わないでいったらベストマッチですよ」 太一「エロい男百人に聞いたら、全員似合うって言うはずです」 見里「エロくない男の人にもきいてくださいよ!」 太一「エロくない男などいない!」 両腕を左右に振りきって、俺は叫んだ。 見里「夢のない……ああ、痴女です……恥ずかしい……」 痴女です痴女ですと先輩は連呼した。 太一「恥ずかしがらないで。痴女だなんて、とんだ誤解だ。 先輩は、はじめて着るエロ水着に異常興奮してしまっているだけなんです」 見里「それが痴女です、そしてあなたはアホです」 ふむ。 太一「先輩が痴女、俺がアホ。似合いの二人」 見里「だから痴女になったつもりは……」 太一「去年を思い出して、ビーチバレーといきましょう」 今年は揺らしきる。 胸=ビーチバレー。 この定理に、これっぽっちの間違いもない。 太一「それー」 見里「ううう……」 太一「せやー」 見里「あっ、うあ……」 太一「先輩、どうして片手でレシーブするんですか?」 見里「視線を感じるからです」 太一「ここには二人しかいないのに?」 見里「残ったもう一人の視線です!」 よし、両手を使わないとレシーブできない球を繰りだしてやる。 太一「えいっ、分裂魔球」 見里「な、なんでっ!?……あ、あ、もう!」 先輩は両手を使った。 たゆんっ 太一「おー」 最高バランス美乳時間差上下運動。 見里「目で犯されているような気がします……」 鋭敏な人だ。 太一「ついアタックを打ちたくなる魔球」 見里「ああっ、とてもアタックを打ちたい加減の好球!」 見里「もう、えーいっ!」 ふるんっ 完璧美乳マジカルローリング。今のはかなり上位ランクの思い出になった。 太一「お次は……」 見里「もうやめてーっ! 普通のがいいんですーっ!」 ……このくらいにしておこう。 ……………………。 のんびりとラリー。 太一「人となにかをするのは、楽しいですよね」 見里「そりゃあなたは楽しいでしょうけど……」 太一「部活のことですよ」 見里「……部活?」 太一「人がいなくなって、静かになって、もうほとんど何も残ってない。でも、楽しい。誰かと一緒になにかをするのは、楽しい。一人だったら、息が詰まるだけでしょ?」 見里「……はい」 太一「先輩は、退屈に思いませんか?」 見里「……つまらなくはないです。けど……わたしは……」 太一「わたしは?」 見里「何も考えたくないんです」 トス。 ボールは高くあがり、狭い弧を描く。 太一「……なぜ」 同じような球を返す。 見里「ただなにかをしているだけのものに、なれたらいいのに」 太一「ロボットみたいに?」 見里「そうです」 太一「それは寂しいな」 見里「……お気持ちはありがたい、ですけど」 太一「人間は、ロボットにはなれないんじゃないですか?」 見里「…………」 太一「楽しい時には、楽しむしかない、っと」 ひときわ高くうちあげた。 見里「そんな余裕、ありません……」 肩が下がる。てん、とボールが落ちた。 太一「先輩?」 十も老けたような顔をして、 見里「これは報いなのかもしれないです。わたしの、したことに対する」 太一「……」 見里「青春したり遊んだりする資格、ないんですよね、本当は」 太一「……そんな重い罪を、先輩が?」 見里「そうですね……」 太一「そうは、思えないな」 見里「え……?」 太一「みみ先輩程度の人に、そんな罪が犯せるなんて、思えないって言ったんです」 見里「ぺけくん……人の事情を知らないくせに、そんなことを言うのは……よくないですよ。一度、体を許したからって……」 太一「だって先輩、逃げたがってるだけですから」 歩いていって、ボールを拾う。 見里「なにを……っ!」 太一「逃避のための部活だったんでしょ? でもおかしいじゃないですか。世界はもう、こんな希薄になってしまってるのに」 太一「犯した罪も、後悔も、苦悩も……全部、人と一緒になくなってしまったのに」 太一「罪のなりたちも仕組みも、もうない。モラルというものは、限りなく0に近くなったんですよ? 先輩はそれを執拗に引きずってる」 俺もだけど。 見里「……そういう考え方は……どうかと思います」 見里「心の傷は残るものでしょう?……わたしは、ひどいことをしたんですから……」 太一「後悔していると?」 見里「…………」 太一「もし、その時に戻ったとして……先輩はより正しい選択ができるんですか?」 見里「…………」 太一「だったら、反省なんて意味がない。同じことが繰り返されるだけだ。であれば、先輩はそういうものなんです……俺には、それがわかります」 見里「…………」 太一「事情は知りませんけどね……先輩は、ただ逃避しているだけに見える。部活じゃなくてもいいんです。きっと。そこでずっと停滞してますか? こういう言い方には抵抗があるでしょうけど、その罪深い自分を肯定してやるため、なにか手を講じないといけないんじゃないですか?」 見里「それは……無理です。もう絶対に、無理なんです」 太一「なぜ」 見里「人が、いないからです」 太一「じゃあどうするんです?」 見里「……そんなの……わかりません。わたしが聞きたいくらいですよ……」 表情は沈潜したまま、消えている。澄んだ湖面が無表情であるように。底には煩悶が。 太一「先輩は、痛めつけて欲しいんです」 見里「え……」 太一「罪深い自分を、罰して欲しいんじゃないですか?」 見里「そんな……ことは……」 一歩距離を詰める。 見里「……これで……許されるんですか?」 ブラウスのボタンをとめて、先輩は言った。 ひどく沈んでいる。 原因は……いじわるしたから、ではないだろう。 彼女は知っているだけだ。 そぐわない罰を受けても、罪は解決しないことを。 いや、そもそも——— 見里「わたしは……これで……許されるんですか……?」 太一「罪は決して許されませんよ」 海を眺めつつ、砂を蹴る。 透き通った砂子が扇状に舞った。 見里「じゃあ……どうしようも、ないんですね……」 短くない沈黙を挟んで、陰気な声。 太一「……」 俺がもう少しマシな人間なら、励ますこともできた。 己の思索に対し、誠実さのない論拠をうちたてて。 けど俺にはできない。どうしようもない。まさにそれこそが真実だと、確信していたから。沈黙が意図を伝えた。 見里「……うう……ううううう……」 慰める術はなかった。少し調子に乗りすぎた。先輩をいじめてしまった。 ハッピーエンドに。 美しいトラウマのカウンセリングを、するはずだったのに。 太一「……難しい」 顔を覆う。失敗したことを、悟った。 見里「親しき仲にはあだ名あり、です」 太一「はあ……」 見里「お互いニックネームを決めましょう」 ニュアンスとしてはペットネーム、という気もした。 ペットみたいに気に入られているのは間違いない。どちらにしても。彼女の笑顔の下に、親愛があるかどうかはわからないのだ。俺はまだ警戒をしていた。 太一「じゃ……先輩」 考えた結果、提案できたのはその呼び方だった。 見里「先輩だけじゃ区別つかないでしょう?」 太一「……合理的じゃないですね。宮澄先輩でいいじゃないですか」 見里「うーん、黒須太一……ですから」 聞いてなかった。 見里「たいち君、はつまらないですよね」 太一「つまらないって、あんた……人の名前を……」 何げに辛辣だな。 見里「……黒須……黒須……ばってん……ばってん!」 太一「……却下させてくださいお願いします」 頭を下げた。 見里「えー!」 太一「そんな方言みたいな呼ばれ方はゴメンです」 見里「じゃあ……ばつ……ぺけ……」 見里「……ぺけくん?」 太一「また間抜けな響きを醸しだしてくれましたね」 見里「あ、でもいい感じ。わたしは気に入りましたよ」 ぺけだと? 基本の思考に『×』があるのだった。 太一「よく考えたら……ペケってダメって意味じゃないですか」 見里「Xという意味もあったりなかったり。ぺけという記号は、交差しあってるんです」 太一「……支え合ってさえいない」 寒々しかった。 太一「すれ違いって意味にしか受け取れないんですけど……」 見里「世間から弾かれたわたしたちも、いつか誰かと交差できるといいなという願いがこめられてます」 太一「……偽善的だ」 そして無理矢理だ。 見里「さあ、こっちは決まりましたよ。そっちの番です」 決まってしまった。 太一「はぁ」 こうなったら、つきあうしかないのだった。 彼女との短いつきあいでも、よく理解できていた。 太一「じゃ……雌奴隷」 見里「この法治国家日本で奴隷なんていませんし」 太一「愛奴隷」 見里「どう違うんですか!」 太一「雌豚先輩?」 見里「……そのめすぶたの後輩になるんですよ、いいんですか?」 太一「おっぱいさん」 見里「そ、そういう目でわたしの胸を……」 太一「搾乳隷奴」 見里「ひっくり返す意味がわかりませんです……おっぱいから離れませんか?」 注文が多い。 太一「……エロメガネさん」 見里「拒否」 太一「全部拒絶じゃないですか!」 叫ぶ。 クールな俺だけでは、対応できない。 見里「あなたがヘンなのばっかり提案するからです!」 太一「じゃメガネ女!」 見里「見たままですね。捻りませんか?」 人をばってん呼ばわりしかけた女のセリフとしては完璧すぎた。 太一「……みみ」 見里「それは?」 太一「みやすみみさとで、みみ」 見里「ああ、いい感じ」 ふわりとほころぶ。 頭悪く見えるほど、ゆるい笑い方。 けど。 ……妙に、面映ゆい。 太一「三つあるな。みみみ、か。美々美とか書きますか?」 見里「アホヒロインみたいな響きに……」 俺みたいな危険人物に声をかけるアホな人ではあった。 アホすぎて……ついつい、優しくしたくなる。 太一「……みみ先輩」 見里「あ、それそれ、それがいいです」 太一「そうですか」 見里「じゃこれで二人は先輩と後輩ですよ」 小指を出す。違うと思ったが、応じた。指切り。 太一「どうせ、親しい名前をつけてこき使うんでしょ。奴隷制度とどう違うんだか」 見里「愛ある強制労働ですよ。あ、もちろん友愛の方ですよ?」 太一「どちらなりと」 肩をすくめた。 CROSS†CHANNEL 夕方。 一端別れたはずの先輩が、そこにいた。曜子ちゃんはいない。みみ先輩が戻ってきて、交代する形で立ち去ったのだろう。 太一「……」 見里「……」 目線が交錯する。それは結びつかない。ほんの一時、軸を重ねただけでしかない。俺は佇立し、先輩はのろのろと動いている。無言のまま、二人はいた。 まだ、先輩をアンテナから引きはがすことはできそうにない。心に踏み込まないといけないのに。 ……自分からそうするのが……恐い。 CROSS†CHANNEL 土曜日だ。 ……あと一日。あと一日なんだ。 早めに来た。見ると、作業はほとんど終わっていた。曜子ちゃんを投入したのは大きかった。 あとは待つだけだ。土曜日。ヤツは高確率で、やってくる。 しかし。 太一「……来ないな」 いつまで待っても、扉が開く様子はない。やがて昼が過ぎ、先輩がやってきた。 見里「あ……ぺけ、くん……」 太一「みみ先輩……」 見里「……あのっ、実は……」 太一「は、はい?」 見里「あ……いえ……なんでも、ありません」 太一「あ、ちょっと」 伸ばした手。力無く降下させた。行っちゃった。まあ、作業はほぼ完成しているし、いいんだけど。 太一「……失敗したかな」 手詰まり。いっそ、強制的に祠に連れて行って——— 太一「ダメだ」 それでは、お互い得るものがない。俺が満足するだけではダメだし、先輩だけが満ち足りる展開もダメ。傲慢かも知れないが。交換しなければならない。触れあった心の感触さえ、あれば。だとしても、どうやってうまくまとめよう。 わからない。 ずっと待っていた。先輩も友貴も現れない。 太一「……」 無駄に時間が過ぎていく。 考える。 友貴があの場に来なかったということは、手伝う気がなかったということだ。つまり——— 妙な物音がする。断続的な。 ……不安にさせる音。 破壊の音。 太一「!?」 跳ね起きる。プレハブを出た。 友貴がいた。 友貴「……」 大きな工業用のペンチを持っている。自転車のチェーンを切断できるアレだ。アンテナが壊されていた。 太一「…………」 特に配線と機器。徹底的だった。怒りに任せて叩き壊したものじゃない。合理的な思考と工具によって、的確に機能が殺された。冷静な破壊。 太一「……」 俺の存在には気づいていない。模型を組み立てる熱心さが、周囲への警戒を鈍くしている。無言で近寄り、殴った。 友貴「……っ!?」 瞳が俺を認めると、瞬時に驚きは消える。病的な友貴を見る。 太一「…………」 言葉もなく、殴り合う。冷静なケンカ……というより格闘。 五分後。 勝ったのは俺だった。腱に爆弾を抱えた友貴に、もともと勝ちはない。 友貴「はぁ、はぁ、はぁ……」 観念したように無抵抗の友貴に馬乗りになって、話しかける。 太一「遊紗ちゃん、覚えてるか?」 友貴「……え?」 太一「近所の遊紗ちゃんだよ。俺になついてた。海にも来たろ?」 友貴「ああ……あの子か……」 太一「俺はあの子に接する時、いつも着飾ってた」 友貴「?」 太一「いい面ばかりを見せて、演技して、愛想良くしてた。結果、遊紗ちゃんは俺になついてくれたよ。俺も大好きだった」 友貴「……それが……なに」 太一「これは裏切りじゃないのか?」 友貴「……!?」 本当の自分を知りながら、隠そうとする行為。騙そうとする行為。素直な自分を見せるという一般的善行と、相反する。だからイケナイこと。 太一「結局、バレてさ。俺、あの子に嫌われちゃったんだ」 痛烈な断絶をもって、俺の実験は終わった。 太一「仕方ないことだけどな。だましてたんだから……おまえも裏切りを憎んでいるものなのか?」 太一「裏切りが許せないタイプか?」 友貴「……だって、姉貴は……」 喘ぐように言う。言葉は続かない。落ち着きのない様子で、俺を見返している。 太一「俺は遊紗ちゃんを裏切った。そして断絶した。けどあの子が俺を嫌った理由は、醜さを隠していたからじゃない。まさにその醜さが、彼女の生理に拒絶されたんだ。おまえが許せないのは、ほんとうに裏切りなのかな?」 友貴「……」 太一「おまえたちのやってること、二人ともそっくりに見えるよ。部活をでっちあげて、そこに没頭して。人がいなくなったんだぞ?」 太一「心の世界が、なくなったんだぞ?」 希薄になった。 太一「それがどういうことなのか……友貴にはわからないか? 正しいことばかりが人間じゃない。認めるか、認めないか。それだけだ。認めるんだったら、その気持ちに理由をつけるなよ。そしたら、好きって気持ちに嘘つかなくてすむじゃん……」 友貴「……僕だって、そう言いたかった……」 太一「え?」 友貴「正しいことばかりが人間じゃないって、姉貴に!」 太一「……何があったんだか、俺は知らないから」 友貴「姉貴は家族を売ったんだ! 父親を、警察に!」 太一「……警察?」 友貴「姉貴は、離婚した父親の方に行ったんだ。僕は母さんに、そうしろって、父さんも言うから……父さんは、大変だったんだ! 母さんへの慰謝料とか、学費とか……仕方なかったんだ!」 ピンと来た。 太一「……何かの犯罪、に? 金銭目当てで?」 友貴「金銭じゃない! ただ生きるための……必要な……」 友貴「けど、姉貴は許さなかった。姉貴が通報したんだ!」 先輩が。 規律。 ルール。 人々が互いに取り交わした。 友貴「……家族でも、売り飛ばすんだ……姉貴は……あの人はなぁ……自分の価値観を人に押しつけたがるんだよ……それが受け入れられなかったら、すぐおかしくなる。わざと怪我してみたり……つきまとったり……」 太一「怪我って、自傷症状の?」 友貴「あれは、姉貴の攻撃なんだよ! 自分を攻撃することで、人を攻撃してるんだ! この部活だってそうさ、ああやって一人でこもって、嫌みたらしく没頭して……あれは僕らに対する攻撃なんだよ」 符合する。 部活=攻撃。 ああ、そういうことか。 友貴「すぐに……おかしくなるぞ……怪我をするぞ。わざと怪我をする」 友貴の双眼に暗い炎。 敵意の篝火。 友貴は笑っている。 人を憎むことは、心地よい。 友貴「怪我をしやすいように振る舞う。……僕が、どうしてバスケをできなくなったと思う?」 太一「なんだって?」 友貴「姉貴をかばったんだよ。これはその後遺症なんだ」 憎々しげに吐き捨てた。 友貴「……その姉貴の価値観は……規則だよ、知ってるだろ? あの人はなぁ……人に自分を認めさせたいだけだ……自分の居心地のいい場所にしたいだけなんだよ……」 太一「本当に嫌いなのか?」 友貴「……大嫌いだね」 見里「友貴……」 俺の背後、先輩は立っていた。友貴も気づいた。言葉は止まらない。ぶちまける気なのだ。 友貴「……どんなに親しくしても駄目さ、太一。何かのはずみで、姉貴のルールから外れたらおしまいだ……姉貴には、絆なんていらない」 見里「友貴……わたし……」 友貴「人がいなくなって、もう守るべきルールなんてどこにもないから。だから……もう、姉貴は、このまま破滅するしかないよ」 世界は心のパッチワーク。ルールはその残骸。 見里「……あのね……友貴……わたしね……」 涙声が俺を透過していく。友貴に向かって。 友貴「うるさいよ!」 友貴は俺に向かって叫ぶ。俺は便利な壁だった。 友貴「姉さんは、裏切り者だ! 父さんが、あんたをかばったんだろ? 母さんが、あんたを捨てようとしたのを、かばったんじゃないか! その父親を裏切るって……なに? ぜんぜん、わからない……意味わかんない」 泣いている。見ろ。おまえは、姉貴が心底好きなんじゃないか。しかし泣き顔は先輩からは見えない。 友貴「父さん、これから長い時間、償わないといけなくなる……そんなに……自分が大切なら……一人で生きていけばいいんだよぉ」 太一「……」 最後の言葉には、感銘を受けた。そうだよな。心はエゴなんだよな。エゴって、心の境界線を塗りつぶす力なんだよな。世界を埋め尽くす、無数のヘックス。そのひとつひとつが、心だ。 同じ大きさでなければならない。 同じ形でなければならない。 そうでないと……外圧を一身に受けることになる。 たいていが、耐えられない。耐えられたとき。そいつはひねもす周囲を傷つけ破壊し貪り尽くす怪物となる。隣にいる誰かの面積を押し縮めながら。 見里「あ……友貴……だから……」 温和に笑おうとして、半笑い。 見里「わたし……」 半笑い。 見里「あ……っ」 無理がたたって、口元がひきつれる。俺が意識を引き戻すのと、先輩が地面を蹴る音は、同時だった。 逃げた。立ち上がる。 友貴に手を差し伸べた。 太一「つまり先輩はお父さんを官憲に売ったわけだな」 友貴「ああ、そうだよ。二回、崩壊させたんだ」 平坦な口調。無関心な素振りをもって、糾弾する態度。 友貴「一回目は……僕の怪我だ。これで……母さんはいやになったんだ」 同性からだと、自分勝手なだけの娘に見えたのか。 友貴「父さんは最後までかばってた。それで、僕らは二組にわかれた」数秒の空白を置き。 友貴「それでもよかった。母さんはノイローゼになってたから……」 離れた方が良かった。 友貴「けど……あの人は、父親にも……」 太一「ああ……そうだな」 友貴「太一?」 太一「先輩の気持ち、よくわかるよ」 友貴「……え」 太一「おまえはけっこう健全だから……わからないだろうけど」 太一「意志とは関係ないんだ。俺たちは、自動的なんだよ」 友貴「じどうてき……って……言われても……」 太一「そういう状況が来たら、こう反応するしかない。決まってるんだよ。どんな愛があっても、絆があっても、関係ない。脳の真ん中あたりがそうさせるんだ。理性じゃ制御できない。だから……大好きなのに、壊してしまうことが……あるんだ」 むしろ興味が向くほどに。刃になった指先で、触れたくなる。 太一「そしてそんな自分を、俺たちは大抵憎んでいる」 友貴は無言だった。一分ばかり。 友貴「…………太一……も?」 太一「おまえ、俺が何者だと思ってるんだ? 偏差値80オーバーの男だぞ?」 小さく笑う。 友貴「だって太一は平気じゃん……うまくやってるじゃん……?」 太一「演技。全部、演技。俺、遊紗ちゃんのこと大好きだった。けど……俺、そんなあの子のこと、ずっといじめられてたあの子のこと……そうと知ってて……押し倒したことがある」 友貴「!」 太一「理性ではわかってる。いけないことだって。でも、我慢できない。本当に、制御できないんだ。忘れるな、友貴。群青にいる者は誰だって、傷つきながら誰かを傷つけている」 友貴「……………………」 二人の間、風が通り抜けた。荒野を駆け抜ける、乾いた空気。肌寒さを感じさせる。俺から見る友貴は、凍えているようだ。 太一「おまえが先輩のこと、ほんとに嫌いならしょうがないんだけどさ。そのお父さん、たぶんみみ先輩のこと、許してるぞ」 友貴「……!」 太一「尊重しあうのが筋だけど……できないんだからしょうがないだろ? 人間関係と、利害を一緒にするからおかしくなる。ただ好きであればいい。違うか? ……一方通行でいいんだ。お父さんがそうしたように」 友貴「僕は……」 太一「ゆっくり考えろ。答えはおまえの中にしかないんだし。答えが出たら……明日の朝、山の社まで来いよ」 友貴「社……?」 太一「昼な。俺と先輩、そこにいる予定。あと、俺先輩とHした」 友貴は唖然とした。 太一「……」 そのまま一分待ったが、殴りかかってくる様子はない。震える唇で、なにかを呟く。 『そうか』と読めた。 ほとんど聞こえなかった。 太一「……言いたいことがあるなら、明日の昼、社に来いよ」 返事はない。複雑な顔の友貴を置いて、先輩を追った。屋上以外、どこに行くだろう?このパターンは、はじめてだ。 ……説得しないと。たとえ、自分の傷を見せることになっても——— 先輩の家は、閉ざされていた。 太一「……もしもーし」 ドアは施錠されている。解錠はできる。けど。感覚を研ぎ澄ます。貝殻のような家の中、先輩の小さな気配が感じ取れそうだった。下腹部にわだかまった熱量を意識する。弾けると制御不能になってしまう。 迷う。 思う。 結局、帰る。 夜は塞ぎ込む時間だ。 傷ついた身を、闇に沈めて癒すのだ。 太一「静かだな……」 窓から外に、声かけた。もし先輩の攻略に失敗したら。 ……またやり直し。触れあう機会は増える。そんな弱さを、俺は自覚していた。 頬を叩く。 太一「しっかりやれ」 迅速に。致命的な思い出を、作ってしまう前に。ベッドに入り、ゆっくりと気を落ち着かせていく。殴り合いで、たかぶった心を静めるため。キャパシティの少ない理性を、冷却するため。 CROSS†CHANNEL 太一「よし」 一晩おいて、俺は平静だった。 太一「行くか」 一応、見に来る。 ……来ていないようだ。自宅にこもったままか。先輩の家の前。雑草で心なしか荒れた庭。一週間でこうはならない。父親が不在になったあと、先輩は管理していなかったんだろう。 なぜか? つらかったから。裏口にまわる。ここも施錠されていたが、古い型のディスクシリンダーだった。鍵穴にツールをさしこみ内部のタンブラーを移動させる。ほどなくカチリと音がした。 太一「お邪魔しまーす」 驚かす目的ではないので、侵入したことを声高に告げた。靴を脱いで、室内に。 一階にはそれらしき部屋はない。 二階。 部屋は二つだけだ。片方は空室。からっぽの本棚とベッドしかない。ということは。 太一「……来ちゃいました」 声をかけた。場所は変わったけど、やることは一緒だ。俺が、先輩にまとわりつく。したいのはそれだけ。 見里「……何用です」 返答があった。 太一「お話、したくて」 見里「帰って欲しいです」 太一「まあまあ」 見里「……黒須君」 苗字。 太一「はい?」 見里「部活はもうおしまいです。好きに生きてくださいな」 淡々と言う。 太一「……俺は、好きに生きてますよ。ある程度は、ですけど。先輩と話すのが、好きなんです。だから少しくらいは、いいでしょう?」 見里「…………」 太一「先輩とお父さんのこと、聞きました。なんというか……まあ一般的には、凄絶なんだろうなって思いました。友貴もそう思ってたみたいですし。外れたらごめんなさい……でも先輩は、お父さんのこと無茶苦茶好きなんですね?」 息を詰める気配。 見里「……どうして……そう思いますか」 そしてレス。対話が成立しはじめる。 太一「先輩が規則の人だから。特に身近な人間に対して、気になる相手に対して、規範を求めるって。俺に声をかけたのだって、そうだったんでしょ?」 見里「……」 太一「その相手が、ルールを逸脱したとするなら……」 太一「告発するでしょう。俺たちなら」 見里「…………」 太一「好きだからいじめたい心理と似てるのかな。人間って、本質的に気になるか気にならないかだと思ってます。あとは全部後付の理由に過ぎないって」 見里「……わかんないです」 太一「好きなのと、関与したいというのは、別個なんですよね? 興味なかったら、接触しないはずですもん。普通は、好きになったら適切な距離でつきあうものですよ。でも、俺たちはちょっぴり壊れてるから……そうしたくないって思ってても、壊したり傷つけたりしちゃうんですよね。それは好きって気持ちを否定するものじゃなく。むしろ、好きだから……自分を見て欲しいから。先輩は傷つけて欲しいんですよね、お父さんに。だから傷つけるようなことをする。それこそが、先輩とお父さんの交信だった。どうです、この推理?」 見里「……全然、ハズレです。探偵は廃業した方がいいですよ」 太一「嘘ばっかり。どうして携帯を持ってるんです?」 見里「……癖です」 太一「連絡を待ってるんでしょ? お父さんから」 見里「……ええ」 太一「もしかかってきたら、何を話します?……横領はよくないとか?」 見里「違います!」 知っている。 見里「わたしは……わたしはただ……!」 太一「ただ?」 見里「謝りたいんです……謝りたいだけなんです……」 太一「ごめんなさいって?」 見里「ごめんなさいって……」 太一「犯罪はいけないことですよね。先輩は正しいことをした。なのに謝りたい?」 見里「……だって……だって、だって……っ! 知らなければよかった……気づかなければ……そうしたら、ずっと幸せでいられたのに……っ! ええ、好きでしたよ! わたしをかばってくれたお父さんも、お母さんも、友貴も……みんな……っ!……けど、もう謝ることもできない……ぶちこわしにしたまま……なくなってしまって……! なにもしたくなかった。何も考えたくなかった。どうしようもないことですから。けどもう……限界です。死にたい……今、すごく……自分を壊したいですよ……でも。死ぬの、恐い……一人で死にたくない……だから……なんか……気持ち悪い……生きてるのが……気が狂いそう」 太一「……俺が、楽にしてあげましょうか?」 見里「え……?」 太一「俺が先輩を楽にしてあげます」 見里「……なに、言ってる……?」 太一「先輩にとっての規則にあたるものが、俺にもあるんですよ。んとなく気づいてるんじゃないのかな、あなたは」 見里「……ぺけくんは……人を……」 太一「そう」 ネコがじゃれるような、無邪気な衝動で。 見里「……わたしを、あなたが……?」 太一「優しくね」 扉を隔てた戸惑い。体温さえ伝わらないのに、それが感じられた。 見里「……本当に?」 太一「ええ」 見里「……もしそれが本当なら……わたし……もう……もう、ね……」 静かに、扉が開く。 道中、二人は無言だった。会話する必要がないためだ。 太一「こっちです」 見里「はい……」 たまに、そう声をかけて確認する。先輩は黙ってついてきた。時計を見る。 ちょうど良い時間。 到着。 交差点は、変わらずそこに在り続けた。立ちこめた霧に似ている。 太一「そういえば———」 関係ないことを話す。唐突にはじまった世間話。先輩は少し目を丸くして、曖昧に相づちを打った。緋色の到来を待つばかり。 あと数分といったところまで、空疎な対話に費す。 太一「おっと……そろそろ始めましょうか。こっちですよー」 柔らかい手を取って、導く。指先が冷たい。 恐いのかな? 適当なあたりに立たせる。 太一「ここに立ってください」 見里「あの……」 太一「ん?」 見里「こんなことを言ったら……いけないのかもしれないですけど」 見里「こわいんです……」 太一「そうでしょうね」 それっきり、先輩は言葉を発することができない。異常な状況に、混乱している。 太一「心を抱えて、人の世界で生きていかないといけないわけですから」 見里「……人の? 人なんて……もう……」 太一「しっ」 口を押さえた。ここに誰かがやって来ている。草をかきわけ、地面に足を叩きつけ。 ……走って。そいつは、走ってはいけないはずなのに、走って。悠長に話している暇はないな。最後に先輩をじろじろと眺める。記憶に刷り込むために。世界が分解されはじめた。大気の密度が変質し、空が暮れる。 見里「……夕日?」 後ずさる。 太一「部活、誘ってくれてありがとう、先輩」 ぴくん、と身をかたくした。 太一「あれがあなたの、価値観の押しつけだったとしても……俺は嬉しかった。俺に興味を示してくれて、ありがとう。一生、忘れません。あなたのこと、あなたの言葉、あなたの記憶」 見里「……痛く、しないでくださいね」 震える肩。震える声。抱きしめたくなる。俺は踵を返し、先輩と距離をあけた。 見里「……え?」 太一「ごめん……楽にしてあげるってのは、嘘です。苦しみながら生きていくんです、先輩は。そこに俺はいないけど……」 肩の前で、小さく手を振る。 太一「ばいばい先輩、楽しかった」 先輩がなにか言おうとした瞬間、俺は目を閉じた。そして開くと、もう彼女はいなくなっていた。ごっそりと、疲労を感じた。胸がえぐられたようだ。 太一「きつ……」 しかし涙は出ない。中途半端な、この気持ち。我ながら嫌になる。そこに友貴がやってきた。 友貴「姉貴は……どこ?」 いきなりだった。焦っていた。走ってきて、汗だくになっている。 太一「あっちだよ、あっち」 友貴「……二人で、何してたの?」 太一「山菜をな、とっていた」 友貴「……太一が連れ出したんだろ」 太一「そうだよ、急げ。大変なことになってるぞ、助けてやれよ」 血相を変えた。 友貴「どっち?」 太一「あっちあっち!」 友貴「いないんだけど……?」 座標が、重なった。 太一「遊紗ちゃんにゴメンって伝えといてくれな」 友貴「は……?」 太一「グンナイ、シスコン……インモラルに励めよ」 友貴、送還。 CROSS†CHANNEL 見里「……え……ぺけくん?…………あのぅ?」 友貴「姉さん……」 見里「友貴? どうして、ここに……」 友貴「話を、しよう。話したいことが、あるから……」 見里「友貴……あなた」 友貴「あ、あれ? ラジオが……」 見里「電波……が……入って? あ……」 友貴「姉さんの携帯?」 見里「……鳴ってる……かかってきてる……」 友貴「誰から?」 見里「……お父さん……の、番号……」 友貴「それって……?」 見里「わからないけど。まるで……長い夢を見ていたみたい——— ……もしもし?」 太一「……ははは」 やり遂げた。先輩と友貴は、もういない。二度と会うこともない。 きつい。思い出すだけだ。なんともはや。祠によりかかって、目を閉じた。名状しがたい、奇妙な眩暈感に包まれる。ゆらゆらと世界が揺れている気がして、三半規管が錯覚を起こした。ずっと二人のことばかり、考え続けていた。 薄れゆく意識。 重く機能を停止する身体。 一切が分解されて構成される過程を、ヒトの知覚力は観測することができない。たやすく分解される世界。いつ終わるとも知れない。そんな場所で、俺は、生きていく。闘いは、続く。 また、来週———